2016年01月の記事 | スリジャヤワルダナプラコッテ(仮)

スリジャヤワルダナプラコッテ(仮)

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真田丸 第3回「策略」


武田勝頼亡き後、真田信繁(堺雅人)たちは真田の郷に帰った。
真田家の家臣・高梨内記(中原丈雄)の娘であり
幼馴染のきり(長澤まさみ)が出迎える。
信繁のパートナー・きり役が長澤まさみさんと決まった時、
リーガル・ハイ第10話で古美門が黛に向かって吐いた台詞
「あ〜あ、長澤まさみだったらなぁ〜」
を思い浮かべた方が多かったのではないかと思う。



おまけに信繁の初恋の相手・梅は
リーガルハイ・本田ジェーン役の黒木華さんときている。
その上に信繁の表情が古美門を彷彿させ
リーガルハイ臭が漂っているのだ。
弟1話を一緒に見ていた小学1年生の男子が馬に乗って逃げる
信繁を見て「古美門先生!」と言ったくらいだから間違いないだろう。
私はリーガルハイ(古美門先生)をこよなく愛しているので
それが悪いとは思っていないが、
今のところ信繁の見所はそれしかないということだ。
ドラマ自体は出色の出来で、昌幸(草刈正雄)が
出浦盛清(寺島進)と結託して「敵を欺くには先ず味方から」
と信幸(大泉洋)を騙すくだりは奇想天外で面白かった。
しかし、信繁の出番が少ないと弟1話、2話同様に不満がある。
大河ドラマといえば「江」で徳川家康 最大のピンチである
伊賀越えに江が同行したという史実を無視した場面があった。
作者は違うけれど、「真田丸」もそれと同様に
いつでも何処でも信繁登場びっくりという風に
出番を増やして欲しいと言いたいところだ。
こんな無茶難題を言うのも時代劇における
堺さんの立ち居振る舞い、演技は絵にあり素晴らしいからである。
通常の連続ドラマならもうすぐ大坂の陣かもしれないが、大河は50回、
「日本一の兵になるのは、まだまだ先の話」と気長に待つしかない。
16年大河 真田丸 | 14:18 | - | -
真田信繁 幽閉の地 蓮華定院


真田丸が放送され、真田信繁が幽閉された高野山が舞台になったら
大勢の人が押し寄せるかもしれない、そうならない内に見学に行こうと
去年の11月、その地である蓮華定院を訪れた。
蓮華定院は室町時代に長野の豪族の宿坊として
契約を結んだという記録がある。
その縁で豪族・海野氏の一族でもある真田昌幸・信繁親子は
関ヶ原の戦い(1600年)で西軍につき敗れた後、
高野山に蟄居を命じられ、蓮華定院に幽閉された(同年10月9日)
当時の高野山は女人禁制の為、信繁の妻子は九度山に残しており
昌幸・信繁は許しを得てその年の冬に九度山へ下る事になって
蓮華定院に滞在した期間はわずかだった。
しかし、蓮華定院には最初に描かれた信繁の肖像画や
書状など貴重な物が残されている。



向かって右奥の障子窓がある部屋が
昌幸・信繁親子が滞在した上段の間である。
ただ残念なことは江戸時代に蓮華定院が焼失してしまい、
現在残っている部屋は再建されたもので
実際に信繁が滞在した場所ではないが、
上段の間は焼失前と同じ位置に復元したという。



上段の間から二部屋向こうが食事処で、
食事の世話をして下さった僧侶が夕食後に
「奥の部屋が幸村が滞在した部屋です。ご覧になって下さい。」
と仰ったけれど、この言葉に色めき立ったのは私だけだった。



蓮華定院に残る信繁の肖像画は最初に描かれた
肖像画といわれているもので、各地に残る幸村像はこれを写したとか。



信繁が1612年(慶長17年)頃、信之(信幸)の家臣宛に
焼酎を送って欲しいとお願いした書状が残されている。





書状を訳してみると下記の通り

 この壺に焼酎を入れて下さるようにお願い致します。
 今、お手持ちがなければ
 この次でも構いませんからお頼み申します。
 難しいと思いますが、壺の口をよく閉めて
 その上壺の口を紙で目張りをして下さるようお願い致します。
 知らせがあり次第で取りに伺います。
 つまらないものですが、湯帷子(ゆかた)を一領差し上げます。
 どうか壺二個の焼酎のことをよろしくお願いします。
 この外にも余分に何かあれば頂きたいと思います。
 六月廿三日 真好白
       信繁 (花押)
 左京殿


囚われの身でありながら比較的自由だったと書状から窺い知れる。
ただし金銭面では苦労していたようだ。
わずか数ヶ月で高野山から下りた信繁は
秀頼に請われ大坂城に入城するまで
14年間にも及ぶ蟄居生活を九度山で送ることになる。
16年大河 真田丸 | 17:27 | - | -
真田丸 第2回「決断」


滅亡の一途を辿る主君・武田勝頼(平岳大)と別れた
信繁(堺雅人)信幸(大泉洋)ら真田家の一行は武田の本拠地・新府から
父・昌幸(草刈正雄)の待つ岩櫃城へ落ち延びる途中、野党に襲われる。
その時、信繁は弱冠15歳!?ながら智将の片鱗を見せるのだ。
野党に兵糧をくれてやる代わりに母・薫(高畑 淳子)
の着物をばら撒いたり、襲われないよう百姓に扮したりと知恵を絞る。
その様子が可笑しくて笑わずにいられない。
年齢的に無理があるけれど、表情、仕種に少年特有の瑞々しさが
感じられる事が出来るのは堺さんの演技力によるところが大きいだろう。
笑いを交えつつ徳川家康など武将の特徴を丁寧に描きつつ
テンポ良く進んでいく真田丸は面白い。
第2回視聴率が20.1%と3年振りに大台突破したのも頷ける。
しかし、堺さんのファンとして少々不満がある。
思っていたより出番が少ないのだ。
以前、インタビューで大河初主演にも「便宜的にいるだけ」
と仰っていた事が妙に納得してしまう。
今ところは草刈正雄さん扮する昌幸が
美味しく所を持っていっている気がする。
昌幸は上田合戦で徳川家康と戦い、
僅かな兵力で一次、二次共に家康を打ち負かした名将だ。
草刈正雄さんの昌幸は魅力的で好きだが、、
九度山で亡くなるまで戦の要は彼であり信繁ではない。
ドラマでは史実と違ってそのような事はないと思うが、
これからますます面白くなっていくであろう真田丸、
信繁の活躍の場が多くなる事を願っている。
16年大河 真田丸 | 15:06 | - | -
真田丸 第1回「船出」


2014年5月、堺さんが大河ドラマ真田丸で主演する
という噂がまことしやかに流れた。
ガセかもしれない、正式発表まで待とうという声もあったが、
私はそうであって欲しい、いやそうに決まっていると
はやる心を抑えきれず、信繁ゆかりの地を訪れブログに記事を書いた。
2014年6月に正式発表があり、それから1年7ヶ月経った
今年1月、待ちに待ったその日がやってきた。

物語は武田勝頼(平岳大)に仕える1人の若者が敵である
織田信長(吉田剛太郎)の先鋒隊を探りに行った事から始まる。
敵に見つかり馬を奪って情けなさ極まりない顔で懸命に逃げる若者こそが
後に「日本一の兵」と謳われた真田信繁(堺雅人)その人である。
42歳の堺さんが15歳の少年!?に扮するには少々無理があるけれど、
演技力がある堺さんのこと、
15歳のあどけなさを表情で難なく表していた。
馬で逃げるのが精一杯の鼻垂れ小僧が33年後のシーンでは様変わりして
顔の傷も猛々しく「狙うは家康の首ただ一つ」
と突進して行く姿は胸躍る格好良さだ。
が、寸前のところで信繁は家康の首を取れず豊臣は滅ぶ。
三谷幸喜氏の作品はよく冒頭で結末を暗示するという。
最初の主君の武田勝頼、最後の主君の豊臣秀頼は共に悲劇の道を辿る。
この2人に仕えた信繁も悲運の武将だ。

前髪の残る少年が日本一の兵へ成長していく姿を
1年間見届ける事が出来るとはファン冥利に尽きると思う。
毎週日曜日が待ち遠しくて仕方がない。
16年大河 真田丸 | 18:43 | - | -
謹賀新年

あけましておめでとうございます正月
最近はろくに更新しないブログをそれでも訪れて下さり
ありがとうございましたおじぎ
2014年5月の発表から1年8ヶ月、今年は待ちに待った
「真田丸」放送の記念すべき年となりました。
1年間「真田丸」を心おきなく楽しみたいと思います。

このような事を言いますと又お叱りを受けるかと思いますが、
昨年の「Dr.倫太郎」は私にとって黒歴史であり、
記憶から消し去りたい作品でした。
熱が冷めようとしたところ、
今年後半には「真田丸」の情報が入ってくるようになり
真田信繁の凛々しい姿を見る度にファン熱が回復しました。
「真田丸」放送後は簡単な感想ですが、
毎週ブログを更新する予定です。
今年も何卒よろしくお願い致します。


戯言 | 05:18 | - | -
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