2014年09月の記事 | スリジャヤワルダナプラコッテ(仮)

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仙台真田物語 その2


仙台真田物語は数回に分けてUPします。
今回は 5〜8P です。(クリックすると拡大します)
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仙台真田物語(4)| メイン | *


16年大河 真田丸 | 08:05 | - | -
仙台真田物語 その1


今から3週間ほど前になるが、天王寺区役所で「SANADA塾」が開催された。
私は参加する気満々で申し込んだけれど、
所用で北海道へ行く事になり泣く泣く断念。
一緒に行く予定だった山友達に
「会った時にどんなのだったか教えてね。」と頼むしかなかった。
そして先日東山トレイル縦走で友人に会った時、
山を登りながら気になる点を尋ねた。
「幸村は亡き後、使われるように名前なのか?」と。
真田幸村から数えて14代目の子孫である真田徹氏の話によれば
1600年(慶長5年)から始まった九度山隠棲時代に
「幸村」の花押が押された書状と
それを裏付ける文書が寺に保管されていたが、
明治時代に行われた 廃仏毀釈 により両方共に紛失されたという。

Wikipediaには『現在でも「真田幸村」の名で広く知られているが、
直筆の書状を始め、生前の史料で「幸村」の名が使われているものは無く、
その忌み名=諱=実名においては「信繁」が正しい。』
と記されているが、確かに証拠となる書状は残されていない。
しかし、子孫である真田徹氏は幸村が生前にその名を使っていた
と仰っているのだから闇雲に否定出来ないと思う。

真田徹氏は真田幸村と伊達政宗との約束により
一命を取りとめた幸村の次男・大八の子孫とのこと。
その経緯を記したのが「SANADA塾」で配布された
「仙台真田物語」である。

仙台真田物語は数回に分けてUPします。
今回は 1〜4P です。(クリックすると拡大します)
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16年大河 真田丸 | 18:36 | - | -
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