青葉と渓谷美とを縫って、因美線が初夏の日光を乗客に満喫せしめ
中国山脈の脊梁が行く手に迫ろうとするこの世ながらの
絶対平和境、岡山県苫田郡西加茂村大字部落
において宿痾の肺患と結婚難、かてて加えて過度の勉強からきた
極度の神経衰弱に、すっかり歪められた厭世的絶望感から
僅か二十二歳の青年
都井睦雄によって
なんと驚くなかれ二十九名というわが国近世における
記録的殺人の一大悲劇が繰りひろげられ
瞬間にして阿鼻叫喚この世ながらの修羅場が実現
被害者は同部落二十三戸中十二戸におよび
これまた記録的悲惨事が展開、さいわい犯人は捜査圏内で自殺し
果てたものの、世界的殺人鬼ブルーベヤードの上を行く
この鬼畜の悪業は、全県民を恐怖のどん底に叩き込んだ。
二十一日午前一時四十分ごろ、苫田郡西加茂村大字行重部落
農業都井睦雄 (二十二年) は、かねて同人を邪魔扱いにする
部落民を殺害しようと、黒詰襟にゲートル
猛獣狩用口径十二番九連発の猟銃を手にし
日本刀を腰にさし、そのうえ短刀をポケットに入れ
用意周到に同部落の電線を断ち切り、部落全体を暗黒にしたうえ
自分はナショナルランプを腹に、頭に懐中電灯二個をくくりつけ
さながら阿修羅の扮装で、まず自分の祖母いね (七十五年) の首を
手斧ではねて即死せしめ、身体には銃弾をめちゃくちゃに射ち込み
続いて隣家の丹羽イト (四十七年) 方に侵入
就寝中のイトに瀕死の重傷を負わせ、昏倒するのを見澄まして
(イトは同日朝死亡)、かたわらに寝ていた同人娘つる代 (二十一年)
を日本刀と猟銃で殺害、続いて寺井政一の一家五人
寺井好二方の一家を全滅せしめたうえ
返り血を浴び悪鬼のごとく荒れ狂い、深い眠りに落ちていた附近民家を
片っ端襲い、二十九名を射殺または斬り殺し
血まみれとなり附近の山林間に逃走したが、急報により県刑事課から
国富課長ら、津山署より山本署長以下全員出動、附近消防組
青年団約千五百名の協力を得て、大々的な山狩りを行い捜査中のところ
同日午前十時半ごろ同村青山の荒坂峠附近山中で
猟銃で自殺している犯人を捜査隊が発見した。
大阪朝日新聞 昭和十三年五月二十一日付夕刊