2007年11月の記事 | スリジャヤワルダナプラコッテ(仮)

スリジャヤワルダナプラコッテ(仮)

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保津川下り


明智越登り口から亀岡駅に向って歩いていると
舟を三艘乗せたトラックがスピードを上げて通り過ぎて行った。
何事か?と思えば 保津川下り の舟を乗船場まで運んでいるようだ。
保津川下りは亀岡から嵐山までの約16kmの渓流を下る舟下りで
一度乗ってみたいと思いながらなかなか乗る機会がない。
そういえば以前、船頭さんが終点の嵐山から
電車に乗って亀岡へ戻る様子をテレビで見た覚えがある。
嵐山の紅葉が見頃となり、保津川下りは今が書き入れ時
と思っていたら、船頭さんを乗せたマイクロバスが向うからやってきた。
大勢の観光客をさばくのに大わらわだ。
橋の上から暫く乗船場の様子を眺めていたら
私も保津川下りの舟に乗ってみたくなった。
「1500〜2000円くらいかな。」 夫はもっと高いのでは?と予想。
乗船場の中へ入り、チケット売り場の値段を見て吃驚。
亀岡から嵐山まで16kmが 3900円 びっくり
人件費を考えると妥当な値段と夫は言うし
美しい景観を眺めつつ、スリル満点の船旅を楽しんでみたい。
けれど2人乗れば7800円!が頭の中を駆け巡り、乗る気が一気に喪失。
乗船待ちの観光客を未練がましく見ながら亀岡駅へ向った。
戯言 | 19:59 | comments(0) | -
明智越


保津峡駅−峯の堂−保津川下り乗船場−亀岡駅 約10km Map

先月末、見事な紅葉に彩られた武奈ヶ岳の写真を見て以来
頭の中は紅の武奈ヶ岳 紅葉 で一杯だった。
今月初めに登る予定が生憎の雨で順延。 
今日こそは!と思っていた矢先、毎月恒例の腹痛になってしまった。
体調が悪い時に山が深い比良山系へ登るのは無茶というもの。
諦めて他のルートを探していた時、ふと思い浮かんだのが明智越。
1年前に愛宕山記事を書いた時、明智越という山道がある事を知った。

明智越
織田信長から備中島松城を攻撃中の羽柴秀吉の応援を命じられた
明智光秀 は戦勝祈願と称して愛宕山に参龍し
本能寺を攻めるべきかどうかの吉凶を占ったという。
そして翌日の連歌会で 「時は今 あめが下しる 五月哉」 と詠み
天下取りの決意を固めたと言われている。
領地亀岡から愛宕山に向かう際に通ったのが明智越の道である。
数日後の本能寺攻めでは光秀率いる本隊は亀岡から老ノ坂を越え
京に向かったが、別働隊はこの明智越を使って京を目指した。

JR京都駅から嵯峨野線に乗り換えて保津峡駅下車。
本来の明智越は亀岡から保津峡へ向うのだが
参考にした山歩きブログに従い、逆さルートに変更した。
ちなみに保津峡駅は 秘境駅 として知られている。
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山行記録 | 15:57 | comments(0) | -
全和鳳美術館



出町柳駅−光華寮−白水園 (昼食)−法然院−喫茶 若王子
  永観堂−南禅寺 琵琶湖疎水−全和鳳美術館−蹴上駅 Map

数ヶ月前、廃墟サイトで蔦に覆われた美術館の写真を目にした。
場所は京都と書いてあるだけで詳細は分からない。
まさか京都市内に廃スポットがあるとは思わなかったので
それ以上調べず、忘れてしまっていた。
ところが最近、某掲示板で 「京都の廃美術館の情報を教えてほしい。」 
という書き込みを発見。 それに対しての返答は
和風美術館ではなく全和鳳美術館、場所は九条山 だった。
九条山だけでは心もとないと調べていたら
三条から御陵まで歩いたハイカーのブログに
廃墟となった美術館を見たと書いてある。 これに間違いない!
蹴上の舟だまりを下り、東西線・蹴上駅前を通って九条山へ。
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ノスタルジア | 17:43 | comments(7) | -
琵琶湖疎水 水路閣


出町柳駅−光華寮−白水園 (昼食)−法然院−喫茶 若王子
  永観堂−南禅寺 琵琶湖疎水−全和鳳美術館−蹴上駅 Map

哲学の道終点から坂を下り、永観堂を経て南禅寺に到着。
娘2人が幼かった頃、冬になれば必ずと言っていい程
母を含め女性ばかり4人で南禅寺へ湯豆腐を食べに行った。
だから南禅寺と言えば湯豆腐の思い出しかない。
琵琶湖疎水・水路閣を初めて見たのは30年以上前で
南禅寺境台から遠望したのみ。
最近まで近代化遺産にほとんど興味がなく
今回、友人に琵琶湖疎水を見学しないかと言われるまで
水路閣の事はとんと忘れていた。

琵琶湖疎水 水路閣
明治維新と東京遷都に伴い京都市は人口が減少し
産業も衰退した為、京都府知事 北垣国道は疎水事業を計画。
田辺朔郎工学博士を工事担当者として
1885年 (明治18年) に起工され、1890年 (明治23年) に竣工した。 
水路閣は疎水事業一環の水路橋で、アーチ構造の優れたデザインを持ち
京都を代表する景観の1つになっている。
又ここから西500mにあるインクラインは高低差のある蹴上の舟だまりと
南禅寺の舟だまりを結ぶ傾斜地に上下2本のレールを敷き
搬架台により舟を運ぶ施設で、当時の舟運による交通事情が窺える。
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関西探訪 | 22:22 | - | -
喫茶 若王子
 法然院を見学した後、哲学の道
 に戻り、私は友人に言った。
 「栗塚旭 経営の喫茶店が
 哲学の道にあるねん。」
 私の頭の中にある喫茶・若王子は
 20年前のままだ。 (写真参照)
 栗塚旭氏は1970年に放送された
 燃えよ剣 で土方歳三を演じ
 一躍有名になった。 不世出の土方と言われたが
役者としてイメージが固定してしまい、それが弱みになったようだ。 
昔見た土方歳三を思い浮べながら若王子に行ってみて吃驚。
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ノスタルジア | 20:57 | comments(43) | -
法然院の紅葉


出町柳駅−光華寮−白水園 (昼食)−法然院−喫茶 若王子
  永観堂−南禅寺 琵琶湖疎水−全和鳳美術館−蹴上駅 Map

昼食後、哲学の道を歩いて南禅寺へ向う。
哲学の道は哲学者・西田幾多郎が散策しながら
思索にふけった事からこの名がついたと言われる。
しかし行楽シーズンのせいか、細い道は蟻の行列状態。
逆方向から歩いてくる人を避けるのに精一杯で
思索にふけるどころではない。
哲学の道の周辺には紅葉の名所が幾つかあり、法然院はその1つ。
此処なら少しは静かだろう。
哲学の道の中程からなだらかな坂道を東へ向って登ると 法然院 に辿り付く。
山門を入ると両側に白い盛り砂、白砂壇がある。
この辺りの 紅葉 はほとんど色づいておらず残念。
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関西探訪 | 20:33 | comments(0) | -
白水園 向月弁当


光華寮見学の後は昼食を摂る為、銀閣寺方面へ。
お目当ては老舗旅館を改装した洋食の店 ふろうえん
ところが玄関前に立ってみて愕然。 臨時休業のお知らせが貼ってあった。
後から来た夫婦連れも 「雑誌を見てわざわざ来たのに。」 と落胆しきり。
残念だが、違う店を探す事にした。
そんな時、思い出したのは京料理の店 白水園
この名前を初めて見たのは京都グルメ本で、結婚前だから随分と昔だ。
それから年月が流れ、店で向月弁当を頂いたのは9年前。
美味しかったのを思い出し、洋食から京料理に180度転換。



名物の向月弁当 (3500円 税込、サービス料別) を注文。 
弁当の由来は銀閣寺庭園の銀沙羅、向月台にちなんで名付けられた。
器は円形の二段重ねで焼き物、造り等を
季節感を大切に美しく盛り付けられている。
懐石風弁当だから満腹にならないのでは?と思ったが、なかなかどうして。
ボリュームがあり、満足出来る内容だった。
これでご飯の向月台がもう少し大きければ尚良いのだが。

京都市左京区浄土寺石橋町36 Map
075−752−2000
11:00〜20:00 (15:00〜17:00は休憩) 水曜休
外ごはん | 16:30 | comments(2) | -
光華寮


錦秋・京都近代化遺産廃ツアー
出町柳駅−光華寮−白水園 (昼食)−法然院−喫茶 若王子
  永観堂−南禅寺 琵琶湖疎水−全和鳳美術館−蹴上駅 Map

『 知らない京都、教えます 』 
何処かで見たようなキャッチコピーだが
京都には知られざる名所 (迷所) がある。
外交に埋もれた光華寮、過去の栄光は今いずこ、廃喫茶店・若王子
観光地の傍にある廃美術館・全和鳳美術館など等。
秋が深まり、紅葉が色づき始めた或る日
友人と京都近代化遺産廃ツアーに出掛けた。
最初の予定は全和鳳美術館を探す事のみだったが
それだけでは勿体ないと出町柳から銀閣寺まで歩き、哲学の道へ。 
その周辺にある法然院、永観堂、南禅寺の紅葉を愛でた後
琵琶湖疎水見学、最後に廃美術館を探す行程に決まり。
光華寮は最初予定に入ってなかったけど
銀閣寺へ向う途中にあるので、立ち寄る事にした。

私が光華寮の名前を知ったのはニュースで見た光華寮訴訟だったと思う。
光華寮訴訟
1931年 (昭和6年) 民間の業者が洛東アパートとして建設。
戦前は京都大学が管理していた。
中華人民共和国成立前に 中華民国 (台湾) が購入、登記。
1967年 (昭和42年) 当時中国を代表する政府 中華民国 (台湾)
中華人民共和国 を支持する中国人留学生8名を被告として
土地・建物の明け渡しを求めて訴訟を起こした。
一審は中国人留学生側が勝ち、二審は逆転で 中華民国 (台湾) が勝訴。
ここで中国は唯一の政府は中華人民共和国であると
1972年 (昭和47年) に行なわれた日中平和条約で明記されており
日本の相手国は 中華人民共和国 だ。
日本に 中華民国 (台湾) の建物が存在するのは
中国に2つの政府があると日本政府が認めた事になる。
中華人民共和国 の物であるから返せと主張して譲らなかった。
2007年 (平成19年) 3月、最高裁は日中共同声明により
日本が1972年 (昭和47年) 中華民国 (台湾) の国家承認を取り消した為
第1審審理中の1972年の時点で訴訟手続きは中断したものとし
原告を 中華人民共和国 に訴訟承継させて審理をやり直すよう命じた。
これまでの4つの判決を全て破棄し、第1審の京都地裁に再差し戻し。
中華民国 (台湾) の事実上敗訴。
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ノスタルジア | 18:00 | comments(1) | -
アルション ラ・メゾン


仕事の都合で火曜日から木曜日まで忙しく
ネタはあるのにブログを書けなかった。
今日は久々に休み。 ストレスが溜まっていた。
ストレス発散の1つに食べる事がある。 友人と共に アルション ラ・メゾン へ。  
友人お勧めのビュッフェスタイルのレストランで
フレンチ&イタリアンと手作りパンが頂ける。(1680円)
アルションへ午前11時半に到着したが、すでに満席。
後1時間、待たなくてはいけない。 
落胆する私達に接客係の女性がにこやかに告げた。
「庭でしたらすぐご案内出来ますが。寒いので膝掛けをご用意しております。」
今日は曇、最高気温は15度で肌寒い。
しかし、膝掛けがあるので
待てしばしの無い私達は庭のテーブルへ案内して貰った。
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外ごはん | 21:31 | comments(2) | -
おとぎ電車が走った頃
 数ヶ月前、ひょんな事からかつて
 宇治川ラインにおとぎ電車が存在した
 事を知った。 1960年 (昭和35年) 5月
 に運転休止になり、今はダムの底に
 眠っている。 宇治川ラインに
 遺構が残っているらしいが詳細は
 分からず仕舞。先日の宇治廃キングで
 天ヶ瀬ダムに立ち寄った時
 おとぎ電車のパネルが展示してあった。 
 それによると関電大峯ダムを建設する際
 鉄材やコンクリートを搬送したトロッコ鉄道
 を利用し、1950年 (昭和25年) に完成。 
 天ヶ瀬ダムから大峯ダム堰堤 (現在は天ヶ瀬ダム建設により水没)
 まで3.5kmを30分かけて走っていた。



大峯ダムはどの辺りにあったのか不明だが
おとぎ電車の遺構が旧志津川発電所辺りに残っている。
(写真 : 向って左、川沿いのコンクリート製構築物)
宇治廃キングが早く終われば遺構を間近で見る予定だった。
しかし残念ながら時間切れ。 未練を残しながら帰阪。
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廃線を行く | 18:09 | comments(10) | -
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