大久野島 毒ガス資料館 | スリジャヤワルダナプラコッテ(仮)

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大久野島 毒ガス資料館


前回のブログ記事、情緒豊かな倉敷美観地区と打って変り
毒ガスマスクに身を包んだ作業員。 一度見たら忘れらない写真だ。
この写真は毒ガス資料館パンフレットに載っていた。
次女は高校の資料集で見たと言うけど、私は全くの初見。
それもそのはず、大久野島地図から消された島
1984年 (昭和59年) 迄、日本が毒ガスを使用した事は秘匿され
ほとんど知らされていなかった。

大久野島は広島県竹原市忠海町から沖合い3kmに位置する島で
日本陸軍が毒ガス製造の為
忠海兵器製造所が建設され、毒ガス島と呼ばれる。 Map
1923年 (大正12年) から1945年 (昭和20年) 迄
毒ガスが極秘裡に製造されていた。
何故、大久野島に毒ガス工場が作られたか?
比較的居住地域に近く、労働力・資材の供給がし易い
毒ガスが漏れても回りに被害が少ない
中国大陸に近いと言った地理的条件や秘匿の容易さがあった。
中国大陸で使用する目的の毒ガスは4種類あり
イペリットガス、ルイサイトガス
クシャミガス (呼吸困難) 催涙ガスである。
敗戦後、大久野島とその周辺には約3000トンの毒ガスと
16000発の毒ガス弾が残された。
毒ガスは国際法上使用禁止になっている非人道兵器なので
問題化するのを恐れた日本軍部は証拠隠滅を命じ
機帆船に積んで海洋投棄によって処分され、除毒措置も施された。
しかし、島内地下の土壌で高濃度の砒素が検出されたり
毒ガス製造・処理による仕事に従事した多くの人が
障害と後遺症を受ける等、負の遺産を受け継いでいる。


旅行1日目は好天だったが、2日目は生憎朝から雨が降っていた。
休暇村から徒歩10分足らずの所に 毒ガス資料館 がある。
午前9時に開館すると聞き、早々とチェックアウトして毒ガス資料館へ。
この建物は毒ガス工場で働いていた元工員と家族の協力により建設された
毒ガス製造の悲惨さを今に伝える数少ない施設である。
館内には完全防護スタイルの作業服、液体毒ガス製造装置
工員手帳など等を展示してあった。
その中で印象に残ったのが防護服を身に付けた工員と馬の等身大模型だ。
それを見た時は不気味かつ異様な様に驚いたが
次の瞬間、言葉にならない悲しみに襲われた。
戦争の悲惨と共にその姿はいつまでも心に残るだろう。
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