真田丸はどこにあったのか? | スリジャヤワルダナプラコッテ(仮)

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真田丸はどこにあったのか?


大河ドラマ真田丸における真田丸は真田家を一艘の船に見立てているが、
実際の真田丸は真田信繁が大坂城の南に築いた出城である。
慶長19年(1614年)、大坂冬の陣にあたり豊臣秀頼から招かれ、
九度山から大坂城へ入城した真田信繁は
天王寺方面からの防備が不十分なことに気付き
現在の空堀商店街からJR玉造駅方向に造られていた
空堀の外側にある丘陵に出城を築いて徳川家康の攻撃に備えた。
出城は東西200mほどの規模で、三日月形をした曲輪2つで
成っていたことから偃月城(えんげつじょう)とも呼ばれた。
惣構の堀をまたいで大坂城内と結ばれていたという。
真田信繁はわずか3千人余りの兵で真田丸を守り、
徳川方の攻撃を見事に撃退し大坂冬の陣最大の効果をあげた。
ところが大坂冬の陣後、和睦の条件により
真田丸は徹底的に破壊され遺構が残っておらず跡形を知るよしもない。
一体、真田丸はどこにあったのだろうか。


明治18年頃の真田丸出城跡付近

最新の研究では大阪市天王寺区餌差町、
明星学園の地にあったと言われている。
実際にこの付近を歩いてみると明星学園から宰相山公園かけて
東西に盛り上がっていた形になっており真田丸らしい地形だと納得出来る。
真田丸顕彰碑序幕式の際、明星学園理事長の談話によると
15年ほど前に運動場をボーリングしたら盛り土が発見されという。
やはり真田丸は明星学園の辺りにあったのだ!?
真田丸の場所についてはこれ以上私があれこれ言うより
真田丸の場所はここだ!の記事を読んで頂くとよく分かると思う。





先日、明星学園のテニスコート東側に建立された
真田丸顕彰碑を見学するため心眼寺坂へ向かった。
坂名の由来になった心眼寺は元和8年(1622年)、
白牟(はくむ)上人が真田信繁・大助父子の冥福を祈り
真田丸の跡地に建立したと伝えられている。





心眼寺坂を上がった所に顕彰碑があった。
約400年前、この地で真田信繁は徳川の大軍を相手に激闘繰り広げた。
舞台が大坂に移るに従って真田丸跡地も賑わうだろう。
16年大河 真田丸 | 23:45 | - | -
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