16年大河 真田丸 | スリジャヤワルダナプラコッテ(仮)

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真田丸 第11回「祝言」


第11回のタイトルは「祝言」だが、今回の主役は
祝言を挙げた真田信繁(堺雅人)ではなく
室賀正武(西村雅彦)といっても過言ではないだろう。
浜松城に室賀正武を呼び出した徳川家康(内野聖陽)は
室賀に「天が淵に築いている城を治めるのは真田のみ」と証文を見せ
真田昌幸(草刈正雄)に裏切られたと憤る室賀に
本多正信(近藤正臣)は昌幸暗殺を持ち掛ける。
信繁は梅(黒木華)を妻に迎えようとするが、身分が違うと
薫(高畑淳子)は大反対し、祝言を挙げることを頑として認めない。
そこで信繁は一計を案じ三十郎(迫田孝也)
と佐助((藤井隆)に協力を求める。
薫の許しを得るため三十郎は百合の花を贈り、
佐助は南蛮渡来の香油を焚き、
薫を心地良い気分にして話を聞いて貰おうとするが、
佐助のこぼした香油が天井から薫の額に伝い落ちて大騒ぎに。
信繁、策に溺れるびっくりこれでは知恵負けだw
ホームドラマじゃあるまいし…と思いながらも
薫の額にポタポタと香油が垂れ
パニックになる様を見て吹き出してしまった。
お笑いシーンが1つくらいあるのは良いと思うが、
許せないのはシリアスな名場面をぶち壊すことだ。
室賀の怪しい動きを察知した昌幸の家臣・出浦昌相(寺島進)は
室賀が昌幸を殺しに来ると考え、室賀を返り討ちにすることを企てる。
そして室賀をおびき寄せる為、一旦は中止になった
信繁の祝言を行うことを思いつく。
信繁の祝言が行われ宴がたけなわになった頃、
昌幸は室賀に碁を打とうと誘い出し奥の部屋に向かう。
碁を打ちながら室賀の腹を探る昌幸、襖の向こうで
室賀殺害の機会を伺う出浦と高梨内記(中原丈雄)、緊迫した場面だ。
家来になれという昌幸の説得を拒否した室賀は帰ろうとした瞬間、
足に隠し持っていた小刀で昌幸を殺そうとするが、
出浦と高梨に斬り殺されてしまう。
呻きながら床を這いずり回る室賀、無念な思いが伝わってくる。
しかし緊張感溢れるストーリーに感動していたのも束の間、
きり(長澤まさみ)の一言「あなたたち、いいの!?これで!」
によってかき消された。
“戦国のヤンキー”きりの台詞は現代人の心情を代弁しているらしいが、
現代のヤンキーでも主に対しあのような無礼な口を利かないだろう。
現代劇のコメディならいざ知らず、真田丸は時代劇である。
おふざけは程々にして頂きたい。
最後の場面で信繁は「私はどこへ向かうのですか?」と言うけれど、
それと同様にドラマ真田丸はどこへ向かうのだろうか。
出来るだけ真っ直ぐに進んで欲しいもんである。
16年大河 真田丸 | 18:11 | - | -
真田丸 第10回「妙手」


徳川家康(内野聖陽)についた
真田昌幸(草刈正雄)は徳川と北条の和睦に戸惑う。
このままでは信濃を徳川と北条で分け合う形となってしまい
真田は領地を奪われることになる。
そこで真田信繁(堺雅人)と真田信幸(大泉洋)は
浜松城に乗り込み真田の為に新たに城を作ることを要求。
しかし、家康は沼田城を北条に差し出せと言い出す。
一方、梅(黒木華)から「子供が出来た」と
嬉しい知らせを聞いた信繁は奮起する。
苦境に陥った真田を救うため、一度は裏切った
上杉景勝(遠藤憲一)の心を動かすべく春日山城へと向かう。
信繁は直江兼続 (村上新悟)の「切り捨てよ!」
という命により槍を持った兵に囲まれる。すわ信繁窮地びっくり
信繁はこの難局をどう乗り切るのか!? 今回一番の見せ場である。
ところが期待に反して描き方が軽い。
槍を持った大勢の兵に囲まれ命を落とす寸前に笑っている信繁は
肝が据わっているとも言えるが、やはり不自然だ。
じりじりと兵に詰め寄られ死を覚悟した信繁は
突如槍を素手で持ち「あいや待たれよ」と見得を切った後、
とうとうと口上を述べる、というのはどうだろう。
歌舞伎じゃないんだから大袈裟な演出を不必要と分かっているが、
時代劇である以上、ある程度の様式美は必要だと思う。
真田丸は確かに面白いけれど、半沢直樹のように一発逆転、
決めるところは決めるようにすれば
もっと見る者の心を引き付けるのではないだろうか。
16年大河 真田丸 | 15:57 | - | -
真田丸 第9回「駆引」


北条は信濃での上杉との戦いを避け、
甲府へ侵攻した徳川家康(内野聖陽)に襲い掛かった。
窮地に陥った家康は本多正信(近藤正臣)の進言により
真田昌幸(草刈正雄)を味方につける策を思いつく。
北条・上杉を信濃から撤退させる事に成功した昌幸だが、
自ら大名になるべきか国衆による独立国家を作るべきか悩んでいた。
一方で真田信繁(堺雅人)は父・昌幸の手段を選ばない方法に
割り切れない思いを抱いていた。
思い悩み空を見上げる信繁の憂いを含んだ表情は美しい。
やっと堺さん(信繁)の見せ場がやってきた。
ツイッターで信繁が活躍出来る時は最期の1年だけ、セミの一生と同じ
と呟いている方がいらっしゃって上手い事を仰ると感心した。
しかし、その通りでは余りにも悲しい。
ドラマが面白ければ良いではないかという御意見が多々あるけれど、
信繁活躍の場が多いに越したことはない。
その点、第9回「駆引」は今までに比べるとそれが多かった。
春日信達の悲劇を悔やみ苦悩する信繁、
梅(黒木華)と思いが通いほくそ笑む信繁ハート
徳川と手を結び北条と戦う為の軍議の席で
北条軍の補給路を絶つという作戦を進言して注目を集める格好良い信繁、
やはりこうでなくっちゃ、主役なんだから。
とんとん拍子で話が進むと思いきや、北条と徳川は和睦。
信濃と上野を北条と徳川で分け合うことになった。
真田の立場は一体どうなる!?
真田領(沼田)の問題は後の上田合戦に発展していく。

大河「真田丸」信繁役の堺雅人さん「上田合戦、楽しんで」
16年大河 真田丸 | 14:31 | - | -
真田丸 第8回「調略」


期待し過ぎると実際の出来は良くても落胆することがある。
真田丸 第8回「調略」がそうだった。
第8回は真田丸前半で最も悲惨な回になるだろうと書いてあるブログや
「真田丸“信繁の人生を変える”前川泰之を直撃!」という記事を読み、
私の中で第8回「調略」への期待が膨れ上がった。
織田軍が撤退した信濃を巡って北条氏政(高嶋政伸)と
上杉景勝(遠藤憲一)の対決が迫る中、
真田昌幸(草刈正雄)は上杉に臣従したように見せかけ北条へ寝返る。
昌幸は真田信繁(堺雅人)と真田信尹(栗原英雄)に
旧武田家臣で今は上杉家臣の春日信達(前川泰之)を
調略するように命じる。
最初は首を縦に振らなかった信達だったが、
信繁の説得に心を動かされ北条につくことを決意する。
蝉が泣く夏の夕暮れ時、百日紅の前で
「あの御方(信玄公)が亡くなった時、我ら家臣はみな死んだのだ。」
と切々と語る信達に対し、懸命に説き伏せる信繁。
物悲しくも美しい場面だと心打たれていた最中、
あろうことか信尹が信達を殺害。
信尹は上杉を裏切った信達を殺害することにより
景勝の信用を得ることが狙いだった。
信尹の狙いは分からぬでもないが、
ここは史実通り主君の景勝が信達を殺すべきだった。
そうする事によって信達の悲劇性が増したと思う。
磔にされた信達に信繁が祈りを捧げている時、
景勝がその前を通る場面があった。
景勝が裏切った家臣の信達を殺害、その骸を前にして
「信頼を裏切るとこのような有様になる。義を重んじよ。」
と信繁に諭した方が“信繁の人生を変える”事になるのではないか?
第9回「駆引」のあらすじを読むと誰にも思いもよらない
「命を損なわない戦」のための策を練る、と書いてある。
三谷幸喜氏は素人の私が思いもよらぬストーリーで
信繁の人生を変えていくのだろう、と今後も期待!?
16年大河 真田丸 | 14:31 | - | -
真田丸はどこにあったのか?


大河ドラマ真田丸における真田丸は真田家を一艘の船に見立てているが、
実際の真田丸は真田信繁が大坂城の南に築いた出城である。
慶長19年(1614年)、大坂冬の陣にあたり豊臣秀頼から招かれ、
九度山から大坂城へ入城した真田信繁は
天王寺方面からの防備が不十分なことに気付き
現在の空堀商店街からJR玉造駅方向に造られていた
空堀の外側にある丘陵に出城を築いて徳川家康の攻撃に備えた。
出城は東西200mほどの規模で、三日月形をした曲輪2つで
成っていたことから偃月城(えんげつじょう)とも呼ばれた。
惣構の堀をまたいで大坂城内と結ばれていたという。
真田信繁はわずか3千人余りの兵で真田丸を守り、
徳川方の攻撃を見事に撃退し大坂冬の陣最大の効果をあげた。
ところが大坂冬の陣後、和睦の条件により
真田丸は徹底的に破壊され遺構が残っておらず跡形を知るよしもない。
一体、真田丸はどこにあったのだろうか。


明治18年頃の真田丸出城跡付近

最新の研究では大阪市天王寺区餌差町、
明星学園の地にあったと言われている。
実際にこの付近を歩いてみると明星学園から宰相山公園かけて
東西に盛り上がっていた形になっており真田丸らしい地形だと納得出来る。
真田丸顕彰碑序幕式の際、明星学園理事長の談話によると
15年ほど前に運動場をボーリングしたら盛り土が発見されという。
やはり真田丸は明星学園の辺りにあったのだ!?
真田丸の場所についてはこれ以上私があれこれ言うより
真田丸の場所はここだ!の記事を読んで頂くとよく分かると思う。





先日、明星学園のテニスコート東側に建立された
真田丸顕彰碑を見学するため心眼寺坂へ向かった。
坂名の由来になった心眼寺は元和8年(1622年)、
白牟(はくむ)上人が真田信繁・大助父子の冥福を祈り
真田丸の跡地に建立したと伝えられている。





心眼寺坂を上がった所に顕彰碑があった。
約400年前、この地で真田信繁は徳川の大軍を相手に激闘繰り広げた。
舞台が大坂に移るに従って真田丸跡地も賑わうだろう。
16年大河 真田丸 | 23:45 | - | -
真田丸 第7回「奪回」


本能寺の変後、北条軍と戦い敗れた
滝川一益(段田安則)は箕輪城に退却する。
その隙に真田昌幸(草刈正雄)は沼田・岩櫃城を奪い返す。
しかし、一益に人質に取られていたとり(草笛光子)は
岩櫃城におらず、箕輪城に連れ去れていた。
真田信繁(堺雅人)はとり、きり(長澤まさみ)を救出する為、
伊勢へ向かう一益が途中立ち寄った小諸城に潜入。
信繁は一計を案じ、きりたちを救出しようと懸命になるが、
その寸前で失敗に終わってしまう…
ミッションインポッシブルさながら手に汗を握る脱出劇の最中、
あろうことかきりは信繁から貰った櫛を忘れたと取りに戻る。
堺さん扮する信繁の一挙一動に緊迫感が漂い、
ハラハラドキドキしたこの場面ドキドキ
ところが有り得ないきりの呑気な行いに苛立たしく思ったけれど、
思い返してみれば信繁からプレゼントされた櫛を
後生大事に持っていたきりの可愛げが見え隠れして微笑ましい。
しかし、信繁に対して「お松様もこの人のせいで死んじゃったんです」
と言いたい放題のきりは頂けない。
これが戦国のヤンキーと言われる所以か!?

滝川一益が伊勢へ向かう途中に木曽を通らなければならないが、
国衆・木曽義昌(石井愃一)はそれを拒否。
木曽義昌は武田勝頼の義弟だったが、織田に内通し、
そのせいで家族を殺害されており武田に恨みを抱いていた。
義昌は信濃を治める為の駒として信繁ら人質を利用しようとしていた。
一益は木曽を通る引き換えに信繁らを義昌に引き渡すが、
とりは義昌の子供の頃を知っており、
それを引き合いに出して信繁1人を帰すよう交渉する。
真田の里に1人で戻った信繁は昌幸に「感に頼り過ぎる」と
とりを連れ戻せなかった事を叱る。
真面目な信幸(大泉洋)と感に頼り過ぎるが
面白い行動をする信繁は2人で1人と言い放つ昌幸。
その一方で忠誠を誓った上杉影勝(遠藤憲一)
の家臣である春日信達(前川泰之)への調略を命じる。
謀略は乱世の常とはいえ、誠実な滝川一益に対して嘘を重ね、
謙信公から義を受け継いだ上杉景勝を裏切り、
調略によって落とした上杉家臣・春日信達を
北条への手土産にする算段の昌幸が悪人に思えてきた。
策略を駆使して戦国を生き抜いてきた割には名を残さなかった昌幸と
大坂夏の陣の前に徳川家康から十万石の対価で誘われたが、
それを断り義を貫いて名を残した信繁。
そこに大きな違いがある。が、気になるのは
真田丸“信繁の人生を変える”前川泰之を直撃!という記事だ。
春日信達の裏切りとその結末は信繁の人生に大きな影響を与えるという。
来週の真田丸 調略はどのような展開を見せるのか楽しみでならない。
16年大河 真田丸 | 17:22 | - | -
真田丸 第6回「迷走」


今回の見所は明智兵から逃れる為、琵琶湖の有り得ない断崖絶壁!?から
身を投げた信繁(堺雅人)の姉・松(木村佳乃)と
それを悲しむ真田家の有様ではないかと私は思う。
松を失い、心の傷が癒えない信繁は梅(黒木華)にその心情を吐露する。
「ずっと兄より才があると思っていた。
その才で兄を助けていくのが自分の務めだと思っていたが、
そんなのはうぬぼれだった。」
「私の才などいざというとき役に立たぬ事がようわかった。
私はただの役立たずの次男坊。真田の家にいる意味など何もない。」

無力感に苛まれる信繁の辛さが
堺さんの演技を通してひしひしと伝わってきた。

本能寺の変の直後、安土の農家に隠れていた信繁一行は
明智兵に見つかり逃げる途中、
追い詰められた松は琵琶湖から身を投げてしまう。
信濃へ戻ってきた信繁は松を助けられなかった事を家族一同に告げる。
母・薫(高畑淳子)に責められてもただひたすら詫びる信繁。
信繁たちの悲しみをよそに
松は琵琶湖の漁師に助けられ一命を取り留めていた。
ところが松は記憶喪失になってしまう。
大河ドラマは50回、これからまだまだ続く。
1年間の長丁場を持ちこたえるには様々なエピソードが必要で、
松が断崖絶壁から身を投じ記憶喪失になる必要があったのだろう。
しかし、くどいようだが琵琶湖に断崖絶壁など無い。
琵琶湖が日本一大きいの湖だと知れ渡っているが、
実際に行ってみた方は全国的にそう多くないかもしれない。
それならば松を琵琶湖からダイブさせても
差し障りがないと思ったんだろうか。
琵琶湖の特に湖西と湖北は穏やかで美しい風景が広がっている。
真田丸の場面と同様だったら景勝地の反面、
自殺の名所になっていただろう。
琵琶湖の話はそれくらいにしててんてん 松は村松殿という名で
知られる実在の人物である。
永禄8年(1565年)に生まれ、弟の信幸とは1歳違い、
信繁とは2歳違いで弟との関係は良好だったようだ。
加沢記(沼田藩祐筆・加沢平次左衛門によって綴られた手記)によると
村松殿は本能寺の変の後、行方不明になり桑名(三重県)で
渡し守にかくまわれ2年後に保護されたという。
天正10年(1582年)頃、村松殿はご存知の通り小山田茂誠に嫁いだ。
その後、小山田茂誠は真田信幸の家老になり小県郡村松を
領地として与えられた事によって村松殿と呼ばれるようになった。
信幸、信繁の兄弟は徳川方、豊臣方と袂を分かつようになっても
村松殿と手紙のやり取りを行っていたが、
大坂夏の陣が起こると信繁は遺書と思しき手紙を
義理の兄である小山田茂誠に送っている。

さだめなき浮世にて候へ者、一日先は知らざる事、
我々事などは浮世にあるものとは、おぼしめし候まじく候


運命の定まるところのない不安定な世の中ですから
1日先のこともどうなるか分かりません。
私たちのことはもうこの世にないものとお考えください。


松とその家族を想い慕っていた信繁。
これが決戦の前に送った最期の言葉だった。

本能寺の変で信長亡き後、昌幸はもがきにもがいて
滝川一益や北条氏政誰にも属さないと決断を下した。
今まで以上に波乱万丈の幕開けである。
16年大河 真田丸 | 17:25 | - | -
真田丸 第5回「窮地」


真田丸第5回の見所はまたもや真田信繁(堺雅人)ではなく
徳川家康(内野聖陽)の爆笑!?伊賀越えである。
天正10年6月2日、本能寺の変が起こり
織田信長(吉田鋼太郎)は明智光秀(岩下尚史)に討たれ、
同盟を結んでいた家康は窮地に陥る。
堺にいた家康は明智の軍勢から逃れる為、
危険だが最短で意表を突いた伊賀越えを決意。
伊賀者・服部半蔵(浜谷健司)が先導して
家康は命からがら三河へ戻る。
その様が可笑しくて大笑いしたが、
実際は家康絶対絶命のピンチで笑い事ではなかっただろう。
それでは今回の見所、伊賀越えについておさらい。



家康は本能寺の変から起こる数日前から信長の招待を受け
畿内各地を見物中に堺で事件を知る。
家康一行は京に上ると称し堺を出発、
最短経路だが地侍や土民に襲われるリスクがある伊賀越えを決断。
近江信楽で一泊、ついで伊賀柘植から加太を越え
伊勢関に出て白子から船に乗り三河大浜に到着、
堺を出て2日後岡崎に帰る事が出来た。
わずかな供の兵しか持たない家康にとっては伊賀越えは危険があり、
家康の生涯の中で最大の危機のひとつと言われている。
その時、伊賀出身の服部半蔵がおり
彼によって集められた甲賀者や伊賀者によって助けられた。
伊賀越え以来、家康は護衛にあたった彼らを召し抱え
甲賀・伊賀の忍者組織を手に入れた。

前回まで無理矢理でも信繁の見所について書いたが、
今回はどう転んでも書きようがないのだ。
信繁=堺さんの出番が少ないとブータラ文句を言ったら
出番が少なくてもドラマさえ面白ければ良いではないか
というご意見を頂いた。
それで思い出したのが堺さんのインタビュー
堺雅人“駒”に徹す!である。
「いい駒でいたいと思っています。
今回は“僕が!”という気持ちは全くありません。
信繁はいろんな物を見て、いろんなところに流されていく。
信繁の目を通して、お客さんがドラマを見る仕組みになっている。
そういう役なので、ある意味で
全くセリフがなくてもいいくらいです」

堺さんご本人がこう仰っているのだから
次回からは潔くドラマ自体を楽しみたい。
誰よりも信繁が活躍するその日まで。
16年大河 真田丸 | 16:03 | - | -
真田丸 第4回「挑戦」


真田昌幸(草刈正雄)は織田の臣下となる為、
信繁(堺雅人)と共に諏訪の法華寺へやってきた。
そこで信繁は生涯の敵となる徳川家康(内野聖陽)と出会う。
最初、家康と知らない信繁は真田の弓立てが
いかに優れているか彼に自慢する。
その時の信繁の天真爛漫さと家康の飄々としたやり取りが微笑ましい。
30年後、命をかけて家康の首を狙う事になろうとは夢にも思わずに。
そしていよいよ信長(吉田鋼太郎)と面会する事になったが、
その前に昌幸が有利な条件で織田家の家臣になろうと策略を巡らした
一件について信長の嫡男・信忠(玉置玲央)や家康に糾弾されてしまう。
窮地に陥った昌幸は内心冷や汗を
掻く思いだったはずだが、表情に全く出ていない。
如何なる時も草刈正雄さん扮する信幸は同じ表情だ。
良くも悪くも草刈正雄はいつも草刈正雄である。
この場面の緊迫感をあますことなく伝えたのは
家康に扮した内野聖陽さんと堺さんの演技力にほかならない。
平伏しながら様子を伺う信繁の目の鋭さが
昌幸に代わってそれをよく伝えていた。
第5話はタイトルの「窮地」通り、織田家の家臣になれたと安堵すれば
本能寺の変が起こり信長は殺され明智の追手から逃れる為に
信繁たちは奔走するようだが、ストーリーが進むにつれ信繁活躍の場が
広がり演技のボルテージが上がっていくだろうと期待している。
16年大河 真田丸 | 17:56 | - | -
真田丸 第3回「策略」


武田勝頼亡き後、真田信繁(堺雅人)たちは真田の郷に帰った。
真田家の家臣・高梨内記(中原丈雄)の娘であり
幼馴染のきり(長澤まさみ)が出迎える。
信繁のパートナー・きり役が長澤まさみさんと決まった時、
リーガル・ハイ第10話で古美門が黛に向かって吐いた台詞
「あ〜あ、長澤まさみだったらなぁ〜」
を思い浮かべた方が多かったのではないかと思う。



おまけに信繁の初恋の相手・梅は
リーガルハイ・本田ジェーン役の黒木華さんときている。
その上に信繁の表情が古美門を彷彿させ
リーガルハイ臭が漂っているのだ。
弟1話を一緒に見ていた小学1年生の男子が馬に乗って逃げる
信繁を見て「古美門先生!」と言ったくらいだから間違いないだろう。
私はリーガルハイ(古美門先生)をこよなく愛しているので
それが悪いとは思っていないが、
今のところ信繁の見所はそれしかないということだ。
ドラマ自体は出色の出来で、昌幸(草刈正雄)が
出浦盛清(寺島進)と結託して「敵を欺くには先ず味方から」
と信幸(大泉洋)を騙すくだりは奇想天外で面白かった。
しかし、信繁の出番が少ないと弟1話、2話同様に不満がある。
大河ドラマといえば「江」で徳川家康 最大のピンチである
伊賀越えに江が同行したという史実を無視した場面があった。
作者は違うけれど、「真田丸」もそれと同様に
いつでも何処でも信繁登場びっくりという風に
出番を増やして欲しいと言いたいところだ。
こんな無茶難題を言うのも時代劇における
堺さんの立ち居振る舞い、演技は絵にあり素晴らしいからである。
通常の連続ドラマならもうすぐ大坂の陣かもしれないが、大河は50回、
「日本一の兵になるのは、まだまだ先の話」と気長に待つしかない。
16年大河 真田丸 | 14:18 | - | -
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